- #開発現場コーチング
株式会社ヌーラボ

## お客様インタビュー:株式会社ヌーラボ 中村様・縣様(前半)
これまで大きな問題がなかった組織だが、以前のやり方ではうまくいかなくなってきた、と現場コーチ中村に相談してくださったのは、株式会社ヌーラボのスクラムマスターかつビルドエンジニアの中村知成様。現場コーチが入ったことで、リーダーがどう変わったのか、お話をうかがいました。
(※肩書き、状況などは2017年2月8日当時のものです)

問題解決ではなく、さらに上を目指すためのコーチ
-お二人とも中村さんなので下の名前で呼ばせてください。知成さんと洋さんは、元々お知り合いだったんですよね?
中村(洋):そうですね。ヌーラボさんのオフィスは、東京、福岡、京都にあるのですが、京都のメンバーと私が親しかったんです。
中村(知)様(以下敬称略):最初に会ったのは、5・6年前の関西で洋さんが主催されていたJenkinsの勉強会だっと思います。それからしばらくして2016年1月にヌーラボとギルドワークスさんで、弊社のBacklogのユーザー向けに共同勉強会をやることになりました。Backlogは複数の担当者のToDoリストを始め、マイルストーンやガントチャートなどでプロジェクト管理を行うことができるサービスですが、「ハイこれ使ってください」では、なかなか使ってもらえない。
中村(洋):タスクを見える化することによって「あれ終わってへんけど大丈夫?」「この人持ちすぎやね」「ずっと処理中のままだ…」などをチームでマネジメントできるのがメリットです。私はこれまでの現場コーチの知見からタスクマネジメントのノウハウを提供でき、ヌーラボさんはそのタスクマネジメントのサービスを提供している。そこで合同で勉強会をやったんです。
中村(知):コーチの支援先でBacklogを使ってもらっているのは結構あったみたいですね。
中村(洋):そうですね。勉強会の後、知成さんから「組織が大きくなって、昔のようなやり方では難しくなってきたように感じる。自分達としてそれなりにやれていると思うけど、自己流だからいっぺん見てほしい」」という相談があったのが、この取り組みのスタートでしたね。
中村(知):ありがたいことにヌーラボはサービス的にも成長して、だんだん一緒に働く仲間も増えてきた。その中で「なんかもどかしいな。どうしたものかなー。ちょっと話を聞いてみようか」と明白な課題は見えてなかったのですが、相談しました。
-明白な課題がないというのはコーチとしてやりにくくないですか?
中村(洋):本当に課題がなければコーチは不要ですが、観察すれば課題がないことはないので、そこまでやりにくいわけではないです。
中村(知):その場にいると、それが当たり前というか、何が悪いか見えなかったんですよ。でもほかの現場を多数見ている洋さんには、一目ですぐ「ここは改善の余地があるな」と感じ取ってもらえたみたいですね。
技術力がもったいない現場だった
-観察して、どこに改善の余地がありましたか?
中村(洋):昔から知っていたヌーラボさんのイメージは少数精鋭でみんなプロダクトを好きでモチベーションが高い人たちの集団という感じでした。何度か観察していると、エンジニアリングの力は高い点は昔と変わってないんですが「このプロダクトを好きでやってる」というのが少し見えなかった。「何を作るかはさておき、作ること自体が好きで楽しい」みたいな雰囲気が少しありました。プロダクトは使ってもらって対価を得ないといけない。そこが現場メンバーにどこまで切実に浸透しているんだろうか?と感じました。
もう一つは、人が急に増えたこともあって、見積もりや計画づくりがあまり慣れていない印象でした。計画があるのかないのか、共有されてるのか、わからない状態だった。せっかくのエンジニアリングの力がもったいないという話をしました。
中村(知):当時は計画の必要性が薄かったんです。新しくリリースする時にマーケティングチームと連携するとか、役員がスケジュールを知りたいとか必要だから計画するわけじゃないですか。良いか悪いかは別として、求められていなかったんですね。作って、良いものであれば、マーケティングに力をかけなくても使ってもらえるだろうと思っていたし、実際数字的には結構好調でした。ただ、それで人を増やしたんだけど、足場が固まっていないので思ったよりうまくいかない。そういう状態でした。
-そこにどんな風に切り込んでいったのですか?
中村(洋):まずは、チームのふりかえりをサポートする形からスタートしました。ファシリテーターである知成さんの横で時々問いを投げる。終わった後で知成さんと「どうだった?」とふりかえりのふりかえりをやり始めました。
ふりかえり自体はなんとなくうまく回っているように見えましたが、少し踏み込んでいくと、計画がふわっとしている面があったり、作るものはわかっているけど、なぜ作るのかへの理解が浅かったり、ちゃんとチームに伝わっていない様子が見えてきました。まさに小さな組織から大きな組織になる時によく見かけるパターンで。最初の数人だと「この方向で行こうぜ」ってすぐ伝わるんですが、やがてチームが大きくなると、伝言ゲームになってしまう。
中村(知):それぞれが思い描くものがブレている感じ。今までは少ない人数ということもあってやってこれたけど、大きくなってくると違うやり方もあるのかなと感じてましたね。
中村(洋):人が増えるとビジネスも組織の形に変わり、それに合わせた様々なマネジメントが必要なんですが、「前はこのやり方でやれていた」という成功体験が邪魔をして、大きく変えることを躊躇することもあります。
中村(知):業績は問題がなかったので、変えるきっかけがなかった。洋さんに「今までうまくいってきたから、どうしていいかがわからない」みたいな相談をしてました。

自分がボトルネックになっている状態を何とかしたかった
-そこを立ち止まって変えたかったのはなぜでしょうか?
中村(知):一番は僕自身がきつくなったことでした。新しい人がどんどん入って、15、6人ぐらいがそれぞれ分からないことをすべて僕に聞いてくる。負荷が集中して、いろいろ回らない。今後さらに人が増えるのはわかっていたんで「このままでは立ち行かない」と感じていましたね。
-そこにどんなふうに関わっていったんですか?
中村(洋):まずは2人で共通認識を作るために「こういう風に見えるね。それはなんでやろ?」とディスカッションしていき、2人にとっての課題リストを作りました。
問題は2つあって。ひとつは「自分たちがうまくやれてるかどうかがわからない」状態でした。いわゆるメトリクス(指標)がなかった。例えばダイエットなら、事前に体重を計測して、何かアクションをやり、体重が減っていたら「これが効いたから続けよう」、減ってなかったら「なぜ効かなかったか?違う方法がよいのか?」とメトリクスによるリアクションが発生するのですが、そういう感じのやりとりがなかった。自分たちがビフォーアフターでどう変わったかを話せていなかった。「とにかく頑張ってやる」「マイペースにやる」「いつかはできたらいいね」みたいな感じでした。
もうひとつは、「これをいつまでにやる」というコミットメントが弱かったことです。その結果、何か大きめのことがいつまでもできないという形になっていました。割り込みがあるとそっちを対処したり、もっといいものを作りたいという理由もありましたが、”いつまでに”を決めるための計画作りの文化がなかった。「やってみないとわかりません」「やってみました。間に合いませんでした」「じゃあ1週間延ばそうか」というやりとりが見かけられて、時間が経つことをそこまで問題視してなかった。知成さんの上司の縣さんも「早く出してほしいけど、追い詰めたいわけではないから、まあまあ、良いもの出そう」と上手い計画作りの方法も、ケツを叩く方法も知らなかった面もあったと思います。
中村(知):ノンビリしていてプレッシャーはないので、やりやすい。のびのびとやった結果、受け入れられるサービスができた、という面もあると思っています。
中村(洋):昔、ヌーラボさんがすごくいいなと思ったのは、すごいエンジニアリング力を持った人達が、ギスギスせず、いい意味での牧歌的なゆるさがあって、それがサービスに反映されててファンが多いんだなーと見てたんですよ。ただ、そのままではあかんのちゃうかなと投げかけました。
中村(知):難しいですが、牧歌的な雰囲気は変えたくないと思っています。
「6か月ぐらいで出る」とわかるところまでは持っていきたいですし、今、そういう風になっている。ただ「もうちょっと時間をもらえるとすごくいいものができる」となった時に「少しだけ期限延ばそうか」「でもやっぱり早く出す方がユーザーさんに良いから、そこは置いておいて早く出そうか」みたいな会話はしたいと思ってます。期限が絶対マストだとは、僕もチームメンバーみんなもしたくない。
中村(洋):牧歌的な雰囲気がプロダクトに反映している。その雰囲気を保ちながらも、人が増えて知成さんがボトルネックになっている状態を何とかしたいという課題があったんですね。
中村(知):僕がボトルネックでチーム全体が進まないのは健全じゃないと思ってました。なので僕抜きでも進められるような形にするというのを大前提にして進めましたね。具体的には、僕ではなくて周りの人たちが4~5人のサブチームでちゃんと話せるような体制を整えるとか、ミーティング含めてそういう場を準備することを念頭に置いていました。それを続けていくと、徐々にチームだけで進められるようになって来た。チームで進められるようになると、僕は細かいところは見なくてもよくなった。
今回はリーダーへのコーチング
中村(洋):今回はどちらかというと知成さんに対するコーチですね。やり方や考え方を伝えたり、知成さんがやろうとしていることについてディスカッションして作戦を一緒に考えたりと、彼がチームに働きかける活動をサポートしていました。
彼がヌーラボさんの中でチームに変化をもたらしていくチェンジエージェントのような人を目指そうとして、周りもそれを言葉には出さないまでも期待、信頼されている感じでした。もしニーズが「チームがどうしようもないから何かヘルプしてほしい」だったらそのようにしたんですが、そうではなく「僕がうまく回せるようにしたい」だっので。
中村(知):スキルがまだ高くないメンバーが多くチームが未熟であれば、直接入ってもらう形もありかもしれません。うちはありがたいことにメンバーのスキル自体は高いので、洋さんから直接チームメンバーにというのは多くなかったですね。後は、僕がうまく方向性を合わせることをできればいけるかなと思って、その辺の支援をお願いした感じですね。
-チームの中に入るのと、チームリーダーに対するコーチングと、どっちがやりやすいってありますか?
中村(洋):どっちもそれぞれ楽しみ、やりがいはありますが、今回に関していうと、知成さん知っていたこともありますが遠慮がないのはこっちですね。「そんなことやると絶対チームついてけーへんちゃう?」みたいなこと結構ストレートに言ってたりしました。

現場コーチが入って変わったことは?
中村(知):僕自身の話ですが、ひとつは、「何のために作るのか」「作ったものがどう喜ばれるか」考えるようになりましたね。プロダクトもそうだし、振る舞いとか「このミーティングなんのためにやるの?」みたいなことを、すごく考えるようになった。以前は「どううまく作るか」に注力してましたが、その考え方が変わった。
もうひとつは、主体性を持てるようになった。「チームメンバーが自主的に動いてくれない」といった問題があったとして、洋さんは「なんで自主的に動いてくれないと思う?」「それに対して知成さんはどういう風にできる?」と問いかけで引き出してくれたんですよ。そういうのをずっと繰り返してると、周りがどうあれ、「それに対して自分が何ができるんだろうか」みたいな主体性が持てるようになりましたね。
中村(洋):私もそういうところがあるのですが、知成さんは「そっちのはよくないのでこうしましょう」って正直にぼーんと言ってしまって、結果として人が動いてくれないことがありました。「なんで動かへんと思う?」とか「私だったらこうするかもね」「その人はこう見えてるかも知れんよね」っていう議論はオフィスでもやっていましたし、時には休日夕方にSkypeなどでやっていたりもしました。
-洋さんが知成さんを動かすやり方が、人の動かし方のお手本にもなっているのでは?
中村(洋):そうかもしれませんね。面白かったのが、知成さんから「難しいテーマのミーティングだからファシリテートをしてほしい」と依頼があった時がありました。その場が終わった後に「あそこでなぜ洋さんはあんな風に言ったんですか?」みたいなことを質問されましたよね。「自分だったらそう言わない」と。
中村(知):「その時にどういう気持ちで洋さんはそれを言ったんだろうな」というのを考えていました。
中村(洋):知成さんがファシリテーター、私がオブザーバーとして参加しているふりかえりやミーティングで「もっとよい問いかけがあるんじゃないかな」と思うことが何度かありました。私は横で聞いてて、チャットで「今のはアカン」「あそこで場の空気変わったよね」とか伝える。それまではチームで話してたのに、知成さんが言った瞬間にみんなこっちのほう見て「じゃあ知成さんが決めてくれたらいいです」みたいになって。
-チャットで?
中村(知):口を挟むと流れが止まっちゃうので。画面はリアルタイムでは見れないんで、後から見直して「ああ、そう見えたのか」と振り返る感じでした。
-洋さんから見て知成さんが変わったというのはありますか?
中村(洋):当初は、チームが困ったことがあれば知成さんは全部答えを伝えてたんですよ。チームが議論してる時に「どうしたらいいと思う?」って聞いてもうまく答えにたどり着けなかったり、答えが出てこないと「じゃあこうしたらいいじゃん。こうしよう」って答えをボンっていうわけです。チームの状況によっては答えを言うことも必要かもしれませんが、知成さんが考えていたありたい姿はそういうのではなかった。横で聞きながら「ちょっとずつ我慢した方がいいと思う」「こういう問いかけをした方がいいと思う」「全て伝えなくてチームが一度うまくかなかったとしても、次にうまくやればいいから」とか、ずーっと言ってて、二人で振り返りしながら、どういう作戦で知成さんのリソースを本来のところに戻していくか、ということをやってたかなと思います。
ビフォーアフターでいうと、ビフォーは自分も手を動かして作ったり、もしくは直接指示をしたりの割合が多かったのが、アフターになると、様子を見て、危なそうなところだけちょっとサポートして、基本的には促すだけになりました。
中村(知):1年ぐらい前は、人の相談を受けながら自分でもプログラムを書いてたんですが、今では僕が直接手を動かすことはほとんどないですね。僕はチームのみんなを支援というか、困ってる時に「これどう?」みたいなのを言う。そういう感じになりました。
中村(洋):これまで答えを言っていたタイミングで、考えるように促すようになったのはすごい変化だなと思います。たとえ正しくても人ってそんなに合理的に動かないです。言い方とかいうタイミングとか、相手の状況に合わせて変えた方がいいですよ、みたいな話しはよくしましたね。
中村(知):技術的なことは白黒はっきりつけやすいんで言いやすいんですが、人のふるまいとか「これはこうした方がいいと思う」みたいなのは、なかなか白黒つけづらい、それを同じように「これはこう思う」みたいに言うと、やっぱり伝わらない、というのは今思うと確かにそうですね。
現場コーチとディスカッションを重ねることで得られた変化。
上司からはどう見えたのでしょうか。次回はヌーラボの創設者でプロダクトマネージャーの縣様にもお話を聞かせていただきました。
こんなことでお悩みの方はお気軽にお問い合わせください。ギルドワークスのメンバーがお話をお聞きします。
- 立ちあげたい事業があるが、本当に価値があるのかどうか自分で確信が持てない
- 新規事業を立ち上げなければならなくなったが、潤沢な予算があるわけでもないのでどうしたらよいのかわからない
- 企画が実現可能かどうか開発の視点を組み入れながら仮説検証したい
- はじめてのことばかりで右も左もわからない